Nov 6, 2005

 

須磨利之


日本のFem-Dom アートの先駆者

 「責め絵」または「縛り絵」と呼ばれる分野が日本には古くからあり、もっぱら女性が「責められる」側の描写である。このジャンルの先駆者の一人に伊藤晴雨がいる。それではフェムドム、つまり「女性が男性を責める」図式の責め絵は、いつ頃から描かれたのであろうか?

  確実な起源は定かではないが、春川ナミオ以前にルーツを求めるならば、とりあえず須磨利之という人物にたどりつく。「奇譚クラブ」の編集者であり、喜多玲 子の名前ですばらしい責め絵を描いた画家としても知られる伝説の人物だ。後に「裏窓」を創刊、SMコレクターなどその後の様々なSM雑誌にも関わり、美濃 村晃などのペンネームで数多くの小説やルポ、コラムなども執筆した多才な人で、ちょうどこの時期にアメリカでも似たような活動をしていたジョン・ウイリー を連想させるマルチタレントであった。
「奇譚クラブ」は戦後まもない風俗誌で、一般的な実話雑誌としてスタートしていた。それが須磨利之が編集に関わるようになった昭和27年から、SMという言葉がまだ使われていないこの時代に、いわゆるSM色を濃く反映した内容に変わっていく。

 このイラストは須磨が自ら企画・構成を手がけた「女天下時代画集」のひとこまで、挿し絵も描いている。(「奇譚クラブ」1952年7月号)
 戦後のメディア史上フェムドム的なイメージが(大々的?に)登場したのは、これが最初ではないだろうかと思われる。この当時、須磨利之は名前やタッチを微妙に変えつつ、一人で百点近くのイラストやカットを奇譚クラブに描いていた。

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