Nov 10, 2005
喜多玲子
またの名を須磨利之。責め絵の第一人者である伊藤晴雨とも直接の交流が知られており、ある意味では我が国の伝統的な責め絵の流れを受け継いだ正式な画家として喜多玲子の名は記憶にとどめていいだろう。後年は美濃村晃のペンネームで主に小説やルポを発表し、イラスト作品がそれほど残っていないのが残念である。「奇譚クラブ」ではラフなカットや挿し絵の中で、この人独自の才能が光っていた。
精神的なマゾヒズムを理解していないと描けないような構図や表情の表現にすぐれ、女性緊縛図が多い中でも、男性マゾヒズム願望にも応えてくれるイマジネーションにあふれていた。編集仲間で友人でもある濡木痴夢男によると須磨はかなりマゾっ気があったらしい。「縛られる快感を知らないと、いい責め絵は描けない」とは須磨の名言である。
喜多玲子の「玲子」の名は須磨の妻の名前でもあったらしい。男でありながら、「喜多玲子」という女の気持ちになって描かれた被虐と羞恥の美は、男女を問わずマゾヒストの歓喜を呼び起こし、マニアの絶大なる支持を得ていた。