Nov 15, 2005
トレバー・ブラウン
コミック作家の池上遼一あるいは叶精作の画風を思わせるトレバー・ブラウンのイラストは、無国籍と異国情緒をかけあわせたような味がある。実はこの人、日本在住の英国人で、ちょっと病的な少女イラストを描く人として地味に有名だ。ファンクラブもあるらしい。めずらしくFemDomっぽい作品を見つけました。
トレバー・ブラウン公式サイト
Nov 10, 2005
喜多玲子
またの名を須磨利之。責め絵の第一人者である伊藤晴雨とも直接の交流が知られており、ある意味では我が国の伝統的な責め絵の流れを受け継いだ正式な画家として喜多玲子の名は記憶にとどめていいだろう。後年は美濃村晃のペンネームで主に小説やルポを発表し、イラスト作品がそれほど残っていないのが残念である。「奇譚クラブ」ではラフなカットや挿し絵の中で、この人独自の才能が光っていた。
精神的なマゾヒズムを理解していないと描けないような構図や表情の表現にすぐれ、女性緊縛図が多い中でも、男性マゾヒズム願望にも応えてくれるイマジネーションにあふれていた。編集仲間で友人でもある濡木痴夢男によると須磨はかなりマゾっ気があったらしい。「縛られる快感を知らないと、いい責め絵は描けない」とは須磨の名言である。
喜多玲子の「玲子」の名は須磨の妻の名前でもあったらしい。男でありながら、「喜多玲子」という女の気持ちになって描かれた被虐と羞恥の美は、男女を問わずマゾヒストの歓喜を呼び起こし、マニアの絶大なる支持を得ていた。
Nov 8, 2005
物体として存在する時
これほどの至福な時が他にあるだろうか。完全な物体として扱われる。無視される。しかし現実的にそれは無理な話で、そこにいる人間は皆、この奇妙なモノと化 した人物の存在を認識せざるを得ないのである。まともな人なら「何考えてるの?この人」と思っていることだろう。アクティブなS趣味の女性ならちょっと退屈するかもしれない。いずれにしても、一見無視されているようでしっかり意識されている状態。ある種の放置プレイといえるかもしれない。次第に耐えられなくなり身体が震えだすと、「テーブルが動くんじゃない」と鞭が飛んできたり。足の裏をヒールでグリグリされたり。
何が楽しくてこんなことやりたいんだか、されたいんだか。実に意味不明ではあるが。
Nov 6, 2005
須磨利之
日本のFem-Dom アートの先駆者
「責め絵」または「縛り絵」と呼ばれる分野が日本には古くからあり、もっぱら女性が「責められる」側の描写である。このジャンルの先駆者の一人に伊藤晴雨がいる。それではフェムドム、つまり「女性が男性を責める」図式の責め絵は、いつ頃から描かれたのであろうか?
確実な起源は定かではないが、春川ナミオ以前にルーツを求めるならば、とりあえず須磨利之という人物にたどりつく。「奇譚クラブ」の編集者であり、喜多玲 子の名前ですばらしい責め絵を描いた画家としても知られる伝説の人物だ。後に「裏窓」を創刊、SMコレクターなどその後の様々なSM雑誌にも関わり、美濃 村晃などのペンネームで数多くの小説やルポ、コラムなども執筆した多才な人で、ちょうどこの時期にアメリカでも似たような活動をしていたジョン・ウイリー を連想させるマルチタレントであった。
「奇譚クラブ」は戦後まもない風俗誌で、一般的な実話雑誌としてスタートしていた。それが須磨利之が編集に関わるようになった昭和27年から、SMという言葉がまだ使われていないこの時代に、いわゆるSM色を濃く反映した内容に変わっていく。
このイラストは須磨が自ら企画・構成を手がけた「女天下時代画集」のひとこまで、挿し絵も描いている。(「奇譚クラブ」1952年7月号)
戦後のメディア史上フェムドム的なイメージが(大々的?に)登場したのは、これが最初ではないだろうかと思われる。この当時、須磨利之は名前やタッチを微妙に変えつつ、一人で百点近くのイラストやカットを奇譚クラブに描いていた。